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はなしをしよう


 

 いくらむしゃくしゃしているからといって、雑な仕事をしてはいけない。タルトに乗せるイチゴを一定の厚さにスライスするのも、クリームとバターをしっかり均一に混ぜ合わせるのも、今だけは正直面倒だ。しかし半端なタルトを出そうものなら、その報いは間違いなく自分にかえってくる。俺は首を刎ねられたくない。
 数時間前のことだ。ケイトにしつこいと言われて、ついカッとなって言い返してしまった。
『しつこいってなんだ、恋人のことを知りたいと思うのは当たり前だろ!』
 そう、俺にとっては至極当然のことだと思ったんだ。
 もう冬を迎えているこの時期、四年次の研修先なんてすでに決まっているはずなのに、ケイトはいくら聞いても教えてくれようとはしなかった。国だけでも教えてくれ、だとか、業界だけでも、と言ってはみたものの、ケイトは頑なに答えをくれなかった。隠す理由がまるでわからなかったし、他の人間に隠していても恋人の自分にだけは教えてくれるものだと信じて疑わなかった。それなのに。
『研修先ぐらい知らなくたって大丈夫でしょ? なんなん?』
 口角は上がっているが目はてんで笑っていない。それに対して、にやついたクッションがこちらを凝視している。ふざけた顔をするな、俺たちは真剣なんだ。
『俺に教えて不利益になるようなこともないだろ。それとも、言いたくない理由でもあるのか?』
『別に……』
 頬に落ちた髪を指に巻きつける。なにかを考えている時の、ケイトの仕草だ。
 なぁケイト。お前の中で懸念していることがあるのなら、言ってくれればいいんだ。そもそも俺たちは恋人である前に親友なんだから(本心はさておいてだが)。
『今までの友達みたいに会えなくなる心配をしてるんなら、それは――』
『はぁ? わかったようなこと言うな……さっきからしつこいんだよ!』
 そうして俺が言い返して、それからはもう長い長い沈黙だ。
 例えばフラミンゴがきれいさっぱりいなくなったとか、冷蔵庫に冷やしてあった果物やデザートがすっからかんになったとか、そういう事件でもない限り決して終わりそうにないほど頑なな静けさが部屋に満ちていた。そしてあまりに長すぎて消灯時間の心配をしたが、実際には数分しか経っていなかった。
 あぁ、わかったよケイト。諦めたわけではないけれど、こんなに心を許してもらえていないなんて、思ってなかったよ。思い上がりだったのかもな。恋人としてお前に心を委ねてもらえるように、もっと信頼を得なければならないらしい。なぁ、恋人って、なんなんだろうな。
 溜息で、この沈黙を終わらせる。
『わかった、もういい』
 思いのほか投げやりな言い方になってしまったが、仕方ない。出ていった言葉は戻らない。眩しい部屋の照明と、薄暗い廊下の落差。この部屋に来た時と今の自分を表しているようで、思わず笑いそうになる。
 俺が部屋の扉を閉めるまで、ケイトが口を開くことはなかった。
 それから三日間、俺たちは一切口をきかなかった。寮や校舎ですれ違っても言葉を交わさないのはもちろん、談話室で同級生と談笑していたケイトが俺の姿を見るなり、
『あー、課題残ってるの忘れてた! 先に戻るね~』
 と言って入れ違うように出ていった。ケイトの顔をちらりと見るとさっきまでのはじけるような明るい表情から一転、虚無で塗り固めたような顔で案の定気付かないフリをして通り過ぎていった。
 顔すら見たくないのはお互い様だが、こうもあからさまな行動をされてしまうと腹が立つ。食堂でだって一瞬目が合ったと思ったらすぐそっぽを向かれてしまった(しかしあれは靴がまったく汚れていなかったから、おそらく分身だ。その後リドルに心配されて、言い訳を考えるのに苦労した)。平静を装うのには慣れているが、その一方で自室にストックしていたクッキーがあっという間になくなってしまった。ストレスを甘いもので打ち消すのはそろそろやめたほうがいい。
 自室のベッドに制服のまま仰向けになって、見飽きたはずの天蓋をぼうっと眺める。あれから正直、ひたすらケイトのことばかり考えていた。
 ケイトの子供時代のことを、ああやって言ってしまったことは悪いと思っている。転校を経験したり親の都合で何かを諦める(ましてや一度や二度でもなく)ということは俺には経験のないことで、軽率に口にしてはいけなかったな。
 だけど、俺はただの青春の一ページみたいなつもりでケイトと付き合っているわけじゃないんだ。そんな、そばにいられないぐらいで途切れてしまうような、そんな気持ちじゃあないんだ……。
 ――なぁケイト。俺はお前を離したくない。お前はどう思ってる? 十代の、この学生時代の数年間で終わる淡い思い出みたいな、そういうつもりなのか? そんなこともあったね、で浮かんでは消えるような一人になりたくない。思い出話をするその時、その隣に俺はいたいんだ。
 だから、ちゃんと話そう。言いたくない理由は……無理には聞かないことにするよ。まぁ、気になってしょうがないだろうな。けど、そんなこと知らなくたって俺たちはやっていけるって、何の根拠もなく思ってるんだけど、どうかな。
 スマートフォンが震えて、通知をオンにしたまま大して使っていないアプリがニュースの到着を知らせた。シンプルな背景にくっきりと表示された時刻に目をやる。
「(まだ間に合う……)」
 二十二時になったら、ケイトに会いに行こう。それから。


 クラスメートから勧められて入れてたソシャゲにログインしてみたけど、それだけで閉じた。特別ハマってもいないから、こんな時に気休めになるわけもない。周回もめんどい。マジカメにはどうでもいいようなことしか載ってなくて、スクロールを五、六回ぐらいしたところでスマホごと閉じて枕に投げた。オレの投稿も同じように思われてんだろうな、まぁ今更か。ひとり、ベッドで丸くなる。
 トレイが部屋から出ていった。ふたりの間に流れた沈黙とほとんど変わらないはずなのに、ひとりになってからのこの静けさに安心している自分がいる。オレの中にあったよどんだ何かが、長い溜息となって身体から出ていった。しぼんでいく風船みたいに力も抜けていく。言いたいことも、こんな風に簡単に吐き出せたらいいのにね。
 トレイ、悪いけどオレは恋人だからと言ってすべてを明らかにしないといけないとか、隠し事をしちゃいけないなんて思えないんだよ。
 俺はわかってるよ、みたいな言い方をすることは珍しくない。ちょっと言い過ぎか。まぁ、たまにね。だけど、いつもなら受け流せるはずがさっきはダメだった。
『わかったようなこと言うな』
 そう、それはまぎれもなくオレの本心だ。
 幼馴染も近くにいて、学校が違ってもいまだに交流があって(色々あったとは思うけど)、ひとつの環境でいくつもの関係をじっくりあたためてこれたトレイに、あんなこと言われたくない。手にしてすぐ失って、また手にして。結局失って、何も残らないんだよ。何も望まなくなるんだよ。離したくないと思っても、自分じゃどうにもならないんだよ。
 だったらはじめから知らないほうがしあわせだ。互いの居場所を知っているから、会いに行けるとか行けないとか、会いたいとか会いたくないとか、そういう余計な感情が生まれるんだ。ないものは望まない。ねだったりしないんだ。
 でも俺は違うって言いたかった? どうしてそう言える? その確信はどこからくる? 親友だから? 恋人だから? 勝手に理解した気にならないでよ。
 次の日から気まずすぎてしょうがなかった。ブランケットにくるまりながら、日が暮れるまで頭を悩ませて、ひとり堂々めぐりする日もあった。正直どうすればいいのかわかんないよ、アイツがそう簡単に諦めるはずなんてないんだから。
 オレが談話室から出ていった時の、ぎこちないトレイの表情を覚えてる。ムカついたかな。そりゃそうだよね。っていうかこんな恋人かわいくないよな。知ってる。
 ――ねぇ、トレイ。オレはトレイがすきだよ、離したくないよ。そんなこと思ったってムダなんだって何度も思ったけど、やっぱイヤだよ。何にも抗わずに離れていくのは簡単だけどさ、それでも。
 だから、ちゃんと話そう。お前にとっては大したことじゃないかもしれないけど、どうか笑わないで聞いて。
 ずっと考えていたことも、トレイがほんとうに大切だってことも。
 言わなかったオレもよくない。不安にさせたね。
 放ったままだったスマホをタップする。パッと灯る画面が現在の時刻を教えてくれた。
「(明日……いや、今日だよね)」
 二十二時になったら、トレイに会いに行こう。それから。

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