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すきなんだからしょうがない


 

 談話室で同級生のシェーンと談笑していたケイトは、分厚い資料を手にしたトレイの姿を視界にとらえると、いつもの笑顔で手を振った。
「あ、トレイくんおつかれ」
「ああ、ケイト。課題は終わったのか?」
 ケイトの顔を見るなりそんな小言めいたことを言ってくるのにはもう慣れた。課題なら終わらせてある。
「シェーン、次のパーティーの指導担当だったよな。この資料読んでおいてくれ」
 かなり重量のありそうな資料を丸ごと手渡された彼は、一気に重さを受けて思わず悲鳴をあげた。
「うっわ! ほんとにコレ全部読む必要あんのかよ!」
「はは、重要な役回りなんだからしょうがないさ。ちなみにそれ、リドルが直々に作ったやつだから」
 わかるよな、と言いたげにそう付け加えると、シェーンからは特大の溜息が漏れた。
「じゃあけーくんはお先でーす」
 ソファから立ち上がったケイトはそう言ってトレイの横を通り過ぎる。その瞬間、自分よりも少し大きな背中の真ん中に人差し指で、つん、と軽くふれた。トレイは何の反応も見せることなく、シェーンとの会話を続けていた。
 ハーツラビュル寮の個室の鍵は、実物のルームキーの他に呪文で開くように個別に設定がされている。それはあくまで部屋の中に鍵を忘れてしまっただとか、いわゆるインキー対策として許されているものなのだが、実のところトレイとケイトは互いの部屋の呪文を共有していた。そんなこと、寮長のリドルには決して知られてはいけないのだが。
「ケイト、お待たせ」
 やがて部屋に戻ったトレイはそう言うと、ベッドに腰掛けるケイトの額に軽くキスをした。
 そう、互いの部屋の解錠の呪文は、恋人に渡す合鍵みたいなものだった。
「ふふ、今日もおつかれさま」
 先に談話室から出ていったケイトがここにいることも、ふたりだけの合図でわかっていた。背中にふれる、いつもの合図だ。
 ふたりが恋人どうしだという事実は誰にも明かしていない。晴れて恋人という関係になれたその日、この寮内で起こりうるメリットとデメリットを天秤にかけて話し合った結果、双方の意見が見事に一致したのだった。噂話の足が早いこの学園ではあるが、おそらく誰にも感付かれてはいないはずだ。少なくとも卒業まではこのままひた隠しにするだろう。
 そしてそれはすなわち、学外であっても気を抜いてはいけないということでもある。明日の休日、ふたりは麓の街にオープンした新しいカフェを訪れるつもりでいるが、うっかり手など繋いで親友という言葉を飛び越えるような仲睦まじさを見せてしまっては最後ーーふたりは一夜にしてナイトレイブンカレッジの時の人となってしまう、という訳だった。
 ケイトは、ベッドに寝転がりながらスマートフォンの画面をスクロールしていた。マジカメだ。トレイがこの部屋に戻ってくるまでの暇つぶしでしかなかったが、それについての話題を恋人に投げかけてみた。
「ねぇ。トレイくんのマジカメさ、たまにはなんか載せたら?」
 トレイのアカウントといえば、キッチンで何かをこしらえた時や、サイエンス部で育てている様々な植物をごくたまに載せるぐらいだ。たしかに最近は忙しさもあって、投稿頻度は落ちていた。そもそもSNSというものにあまり興味関心のない彼は、このアカウントだってしつこいぐらいに勧めてくるケイトに根負けして作ったようなものだった。
「そうは言ってもなあ……載せるようなものがないんだよ」
「なんでもいいんだよ、トレイが『いいな、好きだな』って思ったもので」
「そういうものなのか」
 トレイは器用なのだから、一度コツをつかめば上手くやるに違いない。
「じゃあ明日いろいろ撮ってみようよ! けーくんがナビするからさ」
 それに、恋人がどんなものに心惹かれるだとか、そういうことをもっと知りたいと思うのだ。


 ニューオープンのカフェは盛況で、彼らが訪れた時にはすでに一時間待ちの行列ができていた。よく晴れた日でよかったと、ケイトはやわらかそうな薄い雲が流れる空にカメラを向けながら思った。シャッターを切ってそのままアプリで加工をし、ごく短い文章とハッシュタグをいくつか。ボタンをひとつタップすると、数秒後にトレイの端末から軽快な通知音が鳴った。
「相変わらず手際がいいな」
「へへ、なんでも聞いてよ」
 しばらくして、真新しい店内に通される。思いのほか早く席に着くことができたのは、おそらくトレイと過ごす待ち時間が退屈ではなかったからだろう。ずっと話をしていた訳ではなく、ケイトはこのカフェ周辺の情報を調べたりマジカメや他のSNSを眺めていたし、トレイが面白がりそうな動画などを見つければ、時折ふたりで笑ったりもした。きっとトレイはトレイで、リドルからの連絡(休日にすまないね、月曜で構わないよと書かれていても律儀に返してしまうようだ)に返信をしたり何かのレシピを眺めたりしていたのだろう。注文をして料理が来るまでの間も同様で、ケイトにとってはそれが心地よいなと思う。
 やがて運ばれてきた料理を見て、ケイトの瞳が輝いた。
 トレイが注文したティーセットは小さなケーキが真っ白な皿に四つ乗っている、目にも鮮やかなものだった。特に苺とピスタチオを使用したケーキは赤とグリーン、そして生クリームのホワイトとのカラーリングがきれいな層になっていて、繊細な技術によって丁寧につくられたのだということがよく伝わってくる。
 一方のケイトは、クリームパスタの他にアールグレイのゼリーにフルーツが添えられたドリンクだ。アールグレイは普段から好んで飲んでいるし、くどくない甘さのフルーツなら問題ない。ジュレが見た目の華やかさに一役買っていて彼らの目を楽しませた。
「じゃあトレイくん、食べる前にこのかわいいケーキたちとドリンクを撮ってみてよ」
「はは、やっぱりやるのか……」
 トレイは渋々といった様子で傍らの端末を手に取ると、何回かシャッターを切った。縦や横にしてみたり、カメラの角度を変えてみたりーーケイトが何も言わなくてもそういったバリエーションを無意識にできるのは、やはり彼が器用だからだろうと感心した。
「撮れた? あとでいい感じのを選んで、ちょーっと加工したりすればオッケー! 帰ったら見せてね」
「……そんなに期待されても困るんだが」
 そうやって少し照れたように笑う顔も、本当は残しておきたいと思ったのは秘密だ。
 カフェのある通りは同じような造りの店が並んでいて、まるでミニチュアの世界に迷い込んだような雰囲気さえ醸し出していた。どこを切り取っても絵になる街並みは、ケイトのテンションを上げてくれるには充分だった。
 ふと、細い路地裏からの視線を感じた。表通りよりも数段薄暗いそこには一匹の猫がいて、じっと静かな視線をケイトに向けていた。野良猫だろうか。ケイトは思わずトレイの上着の袖を引っ張って、小声でささやいた。
「ちょ、トレイくんトレイくん。あれ。ネコ……めっちゃかわいくない?」
 やばぁい、と猫が逃げぬようにきわめて小さな声で感嘆の声をあげると、トレイはおもむろに端末を取り出してカメラを向けた。しかし思いのほかシャッター音が大きく鳴ってしまって、猫はあっという間にどこか物陰へ姿を隠してしまった。
「あっ」
「あー……すまん」
 そんな本気で申し訳なさそうな顔をしなくてもーーケイトが可笑しくなって吹き出すと、つられてトレイも眉を下げて笑った。


「さ、撮った写真見せて。けーくん先生がいい感じの加工テクを教えたげる」
 日も暮れて寮に戻り、トレイの部屋で紅茶を傍らにくつろぐふたり。今日はゆっくりとふたりで過ごすことができて、満ち足りた休日だった。恋人同士のデートらしく、手を繋いだりもっとくっついていたいという願望がないと言えば嘘になってしまうが、それでも恋人の楽しげな顔を見ているだけで幸せな気持ちがふくらんでいくというものだった。
 差し出された端末の、カメラロールをタップする。今日の記憶が、トレイの目にはどんな風に映っていたのか。いくつも並んだ加工前のそれらを順番に眺めていくケイトだったが、なぜだか次第にその表情が曇っていく。何か考え込んでいるようでもあった。
「……」
「どうした? やっぱり、あんまり上手く撮れてないよな」
「いや、そうじゃなくて」
 隣から画面を覗き込んだトレイの言葉を打ち消してから、ケイトは少しためらうようにして言った。
「えっと、あまりにも匂わせがすぎるというか……」
「におわせ?」
 ケイトの苦悶の表情の理由はこうだ。
 まずカフェで撮った料理について。それ自体、それはそれは美味しそうに撮れているのだが、向かい側にいるケイトのスマートフォンの写り込みがそこには見てとれる。ぼやけてはいるがあまりに特徴的なケースを使っているがゆえに特定は容易だろう。
「トリミング難しい感じになってるし、スタンプで隠す、のもなぁ……うーん」
 ケイトが可愛いと言ってからカメラを向けてみた路地裏の野良猫も同様だった。逃げてしまう寸前の、そこに佇んでいる愛らしい姿はたしかにきれいに撮れているが、ケイトの腕が写り込んでいる。いわゆる『わかる人にはわかる』程度でしかないとはいえ、ケイトの脳内には目敏い同級生や後輩の顔がいくつも浮かんでしまった。
 きわめつけは、帰り際に撮ったと思われる空の写真だ。そういえば自分の後ろにいたトレイが何かを撮っていたな、とケイトは記憶をたどった。夜になっていくさなか、薄い青とオレンジが美しい夕焼け空を背景にした、ケイトの後ろ姿がそこにはあった。
 どれもこれも、ケイトがちょっと手を加えれば『いい感じ』にすることは簡単だ。しかし、ふたりの秘められた関係性をそこに見出してしまうような、かすかな残り香を完全に消すことは彼のテクニックをもってしても至難の業なのだった。
「ちょっとさー、どうやってもむずいんだけど。悔しいからもうちょっと貸して!」
「なるほどな。やっぱりケイトがいる写真じゃないと、撮る気にならないのかもな」
 トレイはそう言うとケイトの腰に手を添えながら顔を近付けて、こめかみの辺りにそっとキスをした。
 余裕ありげな恋人の仕草に、なぜだか悔しさと照れくささがこみ上げる。ケイトは少しむっとした表情で目の前の恋人と視線を合わせると、ほんの一瞬無防備になったトレイの唇を奪ってやるのだった。

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