top of page

See you again.

 今日は食糧と生活物資の調達に随分と時間がかかった。ゲーラとメイス、それから数人のバーニッシュの男達は、深夜一時を回ったあたりでようやく拠点に帰還することができた。この広大な荒野、最も近い街でも片道2時間は軽くかかってしまう距離であったし、その上よりによってフリーズフォースのパトロール群を発見したために、そこらの岩場に隠れてやり過ごすのに時間をとられてしまったのも理由のひとつだ。
「あー、マジで疲れた・・・」
 物資の配分や食糧の保管を一通り終えたゲーラは、布で仕切られただけの簡素な寝床に腰を下ろした。重い荷物を長時間運んだ身体は思いのほか疲労困憊で自慢のバーニッシュサイクルに今度は荷台でもつけてしまおうかと本気で考えたが、メイスに笑われてはとそのアイディアは一瞬にして塵と消えた。
 また数時間後には、すぐそこの高台で見張りをするメイスと交代しなければならない。どこかの廃墟で拾ってきた薄いマットレスの上で目を閉じてみるが、疲れた身体とは裏腹にまどろみまでは遠いように思える。ゲーラは観念して身体を起こし、枕元に置いた四角い物体に手を伸ばした。バーニッシュ擁護派の支援によって情報収集用として貰い受けた幹部兼用連絡端末だった。
 一般人を装い街へ潜入する際の情報収集や、各地に点在する隠れバーニッシュとの裏取引なんかでも大いに役立つ代物だ。初期設定のままのつまらないロック画面を解除すると、ひとつの赤い印がメッセージの到着を知らせていた。おそらく、次に襲撃するあの街に住む情報屋からだろう−−−だがそんなゲーラの予想はたやすく裏切られた。差出人が示すのはマイアミの、そう、ゲーラの故郷のよく見知った隠れバーニッシュの名。ややためらいがちにそれを開封したゲーラは、絶句した。

『Gueira,Is XXXX the man who was probably your best friend?
…He seems to have died three days before.』
(ゲーラ、XXXXは確かお前の親友だった男だよな?…三日前、そいつが死んだらしい。)


 闘病中だったのだという。
 マイアミのハイスクール時代の同級生で、喧嘩っ早いがとても面倒見のいい男だった。当時ゲーラはアメフト部に所属していたが周囲に比べて身体も小さく力も弱く、どうしても劣ってしまう控え部員であった。なかなか芽の出ない彼の弱音や泣き言を、いつも何も言わずに聞いてくれたのは彼だった。
 よく飽きないなと揶揄されるぐらいには毎日毎日同じ時間を過ごしたし、時に殴り合いの喧嘩もした。互いに気の済むまでやりあった後、決まって先に謝るような男だった。たとえゲーラが悪くても。つまらない意地を張り続けるのはゲーラだけで、素直に詫びることのできない自分を恥ずかしく思うばかりだった。
 そしてバーニッシュとして突然変異した日の夜、ゲーラは密かに街を出た。まるで逃げるように出てきたので、彼に別れを告げることもできなかった。…いや、できなかったのではなく、しなかったのだ。
会いに行ったところで、バーニッシュである俺を拒絶するだろう、いくらアイツみたいなイイ奴だって…−−−それが、何より怖かった。
 あてもない旅に出てからも、しばらく頭から離れることはなかった。今頃、突然いなくなった自分の身を案じているか、それともバーニッシュだと知って強い嫌悪を抱いているか。いっそ嫌ってくれた方が楽だ、などと考えもしたがそういう夜に限って見るのは彼の夢だった。学生時代の、あの頃のたわいもない夢だ。目覚めて目を真っ赤に腫らした自分が嫌で嫌でしょうがなかった。
 しかし時が経ちマッドバーニッシュとして生きていくうち、次第にその影は消えていった。炎と過ごす時間が長くなるにつれてあの頃の記憶は片隅へと追いやられ、いつのまにか、思うこともなくなった。
 …会いたい。ゲーラは飛び出そうになる言葉を飲み込む。
 彼に会えるのは、正真正銘、これが最後。たとえもう力尽きていても、あの見慣れた顔を一度−−−そう願うと、心臓がこれでもかとうるさく鳴って苦しくなった。焦がれるような熱を感じハッとして手のひらを見やると、小さな炎がチリチリと揺らめいている。わっと思わず声が出て、悟った。
 そうだ。
 俺はバーニッシュだから。
 その事実は、このささやかな望みを諦めさせるに充分過ぎるほどの理由であるし、とてつもなく大きな壁だった。
「だよなぁ……」
 強大な力をくれるこの炎の代償は、それを得る前の自分との決別なのだと、とっくに分かっていたはずなのに。
 しばらくして見張りの交代を告げにやってきたメイスが見たのは、やや俯いて右手で静かに揺れる炎を見つめる相棒の姿だった。
「…おい、どうした」
 表情は伺いしれない。しかし、こんな夜中に己の炎をただ凝視しているのだからメイスが訝しがるのも無理はない。ただならぬ様子にそれ以上の呼び掛けをすることはためらわれたのだが、ゲーラはこちらに気付いたようで再びその名を呼んでみると、あぁ、なんでもねぇよ、といつもの調子で答えるだけであった。
「さぁてと、交代してやっか…おとなしく寝ろよメイスー」
「……」
 メイスの肩を軽く叩き、暗がりへと消えて行く影。床に無造作に置かれた端末と、黒く焦げた何かだけを残して。


 未明からの強い雨が長引いている。心なしか、風も勢いを増しているようだ。この地域に居を構えていたバーニッシュの老人によると、ここらは年に数回、とてつもない暴風雨に見舞われるのだという。状況を鑑み、移動の予定を繰り下げてもう1日ここに滞在することが決まったが、予定外の足止めにゲーラは短い溜息を吐いた。
 ミーティングが終わると、ゲーラの姿を見つけた子供らが今日も駆け寄ってきた。
「ゲーラ、おしごと終わった?あそぼ!」
 外は雨だから、中で鬼ごっこぐらいしかできねぇぞ、と言うと、やったぁと嬉しそうにはしゃいだ。
「じゃあゲーラが最初オニね!」
 あぁ、よかった。ゲーラは安堵した。重く沈んだところにいるこの感情は、一旦、奥底にしまうことができる。誰かといることで、言葉を交わして笑いあったりすることで、心配なんかも、かけなくて済む、と。
 幸い、夕方になって雨もあがった。空を覆う雲のいくつかの切れ間から、夕日が差し込んでそれはそれは美しかった。まるで炎のようだった。拠点からすぐ近くの小さな高台から、ゲーラはしばらくそれをぼんやりと見ていた。
「ゲーラ」
 ふと、聞き慣れた声。まさかの来訪者に一瞬瞠目したが、平静を装うことだけを考えた。
「どした?まぁた予定変更か?」
 揶揄する言葉にも、メイスは何も言わず隣に腰を下ろし、太陽が沈むのとは少しずれた方向を指差した。
「…こっちの方角だろ」
「……は…?」
 意味を図りかねているゲーラに、少しの沈黙のあとで。
「ったく…お前の猿芝居なんざ、お見通しなんだよ」
「なっ…メ、メイスてめぇ…っ!」
「うるせぇな、チビ供に聞こえるぞ」
 メイスがそう凄むと、ゲーラは顔を背け、肩を震わせた。次第に、ぐすっ、ぐすっと鼻を啜る音が漏れ聞こえた。
 会いたかった。ひとめ会いたかった。きっと痩せ細って、あの頃の面影なんて少しもないんだろう。それを目の当たりにしたら、かえって辛くなるんだろう。そしてきっともう、土の中で永遠の眠りについているんだろう。でも、それでも、会いたかった。会って、伝えたかったのだ。
 早すぎるぞ、なんでだよ、痛かっただろ、頑張ったな。
 ありがとう、ごめん、またな。
 ゲーラは泣いた。泣いて泣いて、メイスのタンクトップの肩の辺りの色が変わってしまうぐらいには、声をあげて、しばらく泣いた。
 すっかり遠くなってしまったマイアミの記憶と、彼の笑顔を思い出しながら。

bottom of page