top of page

​いつかドルチェ・ピッツァを

 あの頃のことを知らない子供が、そこら中を走り回る。時が経つのは早いものだと、ルチアはFDPP本部のスモーキング・エリアから緑豊かな小さな公園を見下ろしていた。
 すべてが無に帰したあの一夜。今でも昨日のことのように思い出せるのだが、それが実際には随分昔の出来事なのだと思わせるぐらいには、いろいろなことが変わった。
 バーニングレスキューは相変わらず賑やかで、大きな変化といえばやはりあのリオ・フォーティアと二人の幹部が加入したことだろう。正式入隊ではないものの、彼らが犯したテロ行為に関する裁判などが結審し執行猶予の身となったのち、身元を引き受けることとなったのだ。
(本当は「全員まとめて俺が引き受けてやるよ!」といった熱血バカがいたのだが、イグニス隊長の判断により事なきを得た)
 テロリスト集団を率いていた面々が来るというからどんな人間なのかと少々警戒していたルチアだったが、リオなんかはまったく予想だにしないほど素直で真面目な性格であったので、思わず拍子抜けしてしまった。幹部の二人とは、たまにここで煙草を吸いながら談笑したりもする。
 バーニッシュ火災こそ存在しなくなったものの、やはり元バーニッシュに対する差別や偏見は根強く、暴動やバーニッシュ火災を模した放火犯などは後を絶たない。成熟した街になるための成長痛みたいなもんだね、ともう何杯目かのコーヒーを呷りながら徹夜明けのレミーが言っていたのを思い出した。
 ルチアが戻ると、何やらわいわいと騒がしい。ガロがこちらの姿を見とめると、満面の笑みで。
「あのピザ屋、またやることにしたんだってよ!」
 ピザ屋って、あぁ…−−−。
 よく覚えている。急襲とはまさにあのことで、あっという間に連行されていった店主そして職人の若い男。追い込まれて炎を放った、バーニッシュだった男。
 昨日たまたま店の前を通りがかったのだが、すっかり更地になってそこだけぽっかりと空いていたのに。
「(そういえば、あのニイちゃん…)」
 バーニッシュが人体実験に利用されていた事実は、後になって耳にした。彼の安否が気になって声に出しかけたが、ガロが知っている訳もないと思い直して、新しいキャンディをポケットから取り出しモニタールームへと向かった。適当に掴んだラムネ味は今の気分ではなかったので、少し後悔した。
 帰り道。FDPP本部の隣にある総合病院。ふと、正門の前を通る影。それはおぼろげだが見覚えのある姿で。
「あ」
「あ、どうも…」
 あのピザ屋の青年だった。ガロとよく顔を出していたから、ルチアの顔はなんとなく覚えているのだろう。彼はあれから奇跡的に一命を取り留めた。しかし、左腕の肘から下、それから右手の指先の一部も実験の影響で失ってしまったのだという。現在は公的な元バーニッシュ支援制度を受け、通院を続けている。その手指の状態は、今はパーカーの袖の下に隠れていて窺い知ることはできない。
 お大事にね、という言葉をかけて別れたあと、月並みにもほどがあるとルチアはなんだかもどかしくて仕方がなかった。別に何か責任を感じる必要はないけれど、ルチアもあのピザは結構気に入っていたので。
「……」

 三週間後。いつもの待機室のソファに腰掛けるのは、あの青年だった。やや緊張した面持ちで、ガロやアイナと談笑している。ルチアは彼の前に赴くと、自分の肩幅よりもまぁまぁ大きい白い箱をテーブルに置いた。
「なんだコレ?開けていいのか?」
「ガロ」
 アイナとガロのやりとりにふふっと笑みをこぼしたルチア。彼女が発した言葉に誰もが驚愕した。
「実験台になってもらうよン」
「え…?」
 恐怖に青ざめていく青年。それはそうだろう、彼にとっては二度と耳にしたくない言葉であるに違いない。冗談にしては趣味が悪い。
「ルチア…ちょっと…!」
 動揺するアイナに目配せしてルチアが箱の蓋を開けると、何やら黒い筒のような変わった形状の物体の先に、折れ曲がった細いものが繋がっている。まさに、人の指のような。
「こ、これ…?」
 筋電義手。電動モーターで指を開いたりなどの繊細な動きを行なうのだが、残された腕の筋肉の収縮を信号にそれを制御する、といったプロメポリスにはまだない代物だ。
「技術支援で来てた研究者からいろいろ聞き出して、ワタシ流にアレンジしたの。アンタのダーイスキな極東の島国の最新技術ネ」
ガロが目を輝かせる。これは紛れもなく、ルチアが製作した第一号試作機。
「…これ実用化するから、アンタに手伝ってほしいってワケ。まぁ〜イヤだったらいいんだケド」
 戸惑いと、驚きと、安堵、それから喜びのような何か。その感情は数え切れない。やや瞳を潤ませて、青年は静かに頷いた。

 不思議そうにそれを眺める青年を、面々が取り囲む。かの最新技術とレスキューギアの仕組みを応用したモノだ、うまくいくかは分からないけれど。
「へぇー、やるじゃん」
 こちらを覗き込むレミーを一瞥し、白衣のポケットをまさぐった。手にはストロベリー味。オーケー。
「…こんなこともあろうかと、ってヤツよ」

bottom of page