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炎への贄
甲高い子供たちの笑い声が聞こえる。バタバタと駆け回る音も相まってやけに騒がしい。ゲーラは気怠げに身体を起こした。寝ぼけ眼をこすりながら目にした光景は、彼に違和感を抱かせるのに充分なものだった。
若い夫婦はテーブルを囲んで食事を摂り、少女は母の膝上で絵本の次のページをせがんでいる。幾人かの老人が手にしているのはきっと酒だろう、昔バイト先で見たことのあるラベルが貼られた瓶が傍らに横たわっている。彼らはここで『生活』をしていた。
「ゲーラ、やっと起きたか」
背後からの聞き慣れた声に、脳内を駆け巡っていた疑問が思わず漏れた。
「おいメイス、あんな自由にさせといて大丈夫なのかよ、フリーズフォースに見つかったらまた逃げなきゃなんねぇってのに」
「は?お前なに言ってんだ、もう逃げる必要なんてないだろ。ここは俺たちの村なんだから」
思わぬメイスの言葉を、何度も反芻する。しかしゲーラにはまったく覚えがなかった。村、とは。
「村、って、あれか…バーニッシュだけの村…か?」
「おいおい、まだ寝ぼけてんのか…しょうがない奴だな」
呆れと苛立ちを含んだ溜息を吐いて、メイスはどこかへ行ってしまった。
確かに逃亡生活とは比べ物にならないほど穏やかで、みな何も心配事などないような表情をしている。いつも何かに怯え、命の危険を感じながら生きている時のそれとは天と地の差であった。だがバーニッシュの村をつくるというのは彼らのリーダーであるリオ・フォーティアの悲願であるから、そんな重大なことを幹部であるゲーラが忘れてしまうはずはないのだ。相棒のメイスの言葉でさえ、今はにわかに信じがたい。
本当に『村』が出来たのか…確証を得るために、ゲーラは寝床をあとにした。
村と呼ばれるそこに広がる風景は、彼が予想だにしないものばかりであった。小さなプレハブのようなものがいくつも建てられ、配達員のような人物から手紙を受け取っている者もいる。少し先には学校のような建物もあって、ゲーラが幼い頃に習った懐かしい童話が聞こえてきた。まだまだ途上のさなかではあるが少しずつ整えられていったのであろう環境がそこにはあった。それらはすべて、人々がここで生活を営むのだという意思と努力の賜物だ。
「………!」
ゲーラは思い出していた。
フリーズフォースの襲来に備え、見張りと浅い眠りを毎日繰り返したこと。食料が底を尽きそうになった時、保護したバーニッシュたちに分け与えたあとにメイスと腹を鳴らしながらバーニッシュサイクルを走らせ、遠い街まで調達に行ったこと。戦闘中、目の前で仲間を凍らされ一瞬にして砕かれたこと。日に日に仲間が減っていき、自分の無力さにどうしようもなく涙が止まらなかったこと。リオと出会い、新しい理想を追い求めるようになったこと。
目の奥が熱くなった。きっとバーニッシュに対する迫害や人体実験で命を落としたのは、自分たちが知るよりも遥かに多いだろう。そうした無数の犠牲の先に、こうして平和に暮らすことのできる世界を実現できたのだ。ゲーラは嬉しかった、一点の曇りもなく。リオの背中を追ってきてよかったと、心底思ったのだ。
しかし、視界のずっと先。高く掲げられている何かを見とめ、驚愕した。
祭壇に供えられた無数の花とすぐ後ろに高くそびえる十字架。そこにだらしなく首を垂れて磔にされているのは紛れもなく。
「ク、レイ…フォーサイト……?」
ひどく痛ぶられたのだろう、片方の瞼はひどく腫れ上がり、何も塗ってやいないのに青紫色に深く沈んでいる。顔の至る所に炎で焼かれたような跡があり、皮膚の一部がただれて無残に焼け落ちていた。身に纏う衣服はいつか映像で見た白い制服であったものの、それも炎で焼け焦げてほとんど原型をとどめていなかった。
「(むごいことしやがる…)」
戸惑いと怒りにも似た感情に、鼓動が激しく波打つ。ふと、彼に近付くひとつの影。
「ゲーラ、ここにいたのか。待ってたんだぞ」
「ボス!あれは…」
皆が慕い、バーニッシュを統率するリオ・フォーティア。彼はやや不思議そうに首を傾げつつも、いつもの落ち着いた声音で言い放った。
「何を言ってるんだゲーラ。今日はこのバーニッシュの村ができてちょうど一年の記念すべき日だ。夜にその祝祭を行なうって決まっていただろう?」
「祝祭…?」
「あぁ、そうだ。祝祭のメインの儀式では僕がアレに火をつける。そう言ったよな?」
そう言ってリオが視線を向けたのは、他でもないあの十字架であった。リオは静かに続ける。
「僕たちバーニッシュの未来永劫の繁栄のため、悪しき存在である彼を犠牲になった魂に捧げる。鎮魂の儀式だ」
「そ、そんな…ボス本気か!だって、だってボスは…」
プロメポリスの司政官としてバーニッシュ排斥を積極的に推進していたクレイ・フォーサイト。そうした存在には全力で抗うとは理解していたのだが。
−−−た、確かにクレイ・フォーサイトは俺たちを排除しようとした。けど村ができた以上、共存していくとかそういうことじゃねぇのかよ…むやみに殺さねぇんじゃねぇのかよ!
「いい加減にしろゲーラ。ボスを困らせるな」
聞き慣れた声も、今や冷たく責め立てるそれにしか聞こえない。青い瞳がゲーラを睨みつける。
「子供が祭壇から花を取ってボスに渡す。そうしたら俺とお前とボスで炎を混ぜて、着火する。そう段取りを確認しただろ」
「ちょっと待ってくれよメイス、マジでやんのかよ!殺すってことだぞ!」
「お前、もう忘れたのか?フリーズフォースも、バーニングレスキューも、全部あの日に焼き尽くしただろう。ボスと俺と、もちろんお前とで」
−−−俺も?嘘だ、嘘だよ。俺、あの日ボスと出会ってから決めたんだ、もう殺しはしねぇって、むやみに焼いたりしねぇって誓ったんだ。だってボスの理想がすげぇって思って、ついていくって決めたから…嘘だ、嘘だ…
自分の悲鳴で目を覚ます。洞窟の、ごつごつとした乾いた天井が視界を占めた。心臓はバクバクとひどく鳴って、呼吸も荒い。苦しい。ちょうど見張りを終えたメイスが交代のために戻ってきたようで、ゲーラの様子に気付くと心配そうに顔を覗き込んできた。
−−−この世界は、どっちなんだ…?
「め、メイス…あの、さ…」
「?」
「俺たち……いつか、村つくるんだよな」
思わぬ問いに瞠目したメイスだったが、
「むやみに殺さない、逃げ道は確保する、バーニッシュの村をつくる。…ボスの教えだ」
ひとつひとつ確かめるよう、静かに語りかけた。ゲーラは心の底から安堵した。
よかった、と思わず呟いてから、ついさっきまで不安で満ちていた赤い瞳からこぼれる大粒の涙を、しばらく止めることができなかった。
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