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ファースト・フライト
ニューイヤーの瞬間にキスするなんて、オレらも浮かれてんね。
オレがそう言うと、トレイは何かを滾らせたような瞳でこちらを見つめた。そうしてすぐに眼鏡を外して、またオレの唇を食んだ。リビングには新年を祝うお決まりの言葉がテレビからあふれて、やけに騒がしかった。
付き合い始めてからこうして新しい年を迎えるのも、3回目ぐらいになるだろうか。互いの実家に帰るのはだいたい年が明けてからだ。トレイの実家も新年は店を閉めているから、そのほうがのんびりできるのだという。
規制といっても連れ立って帰るわけじゃない。オレたちはまだ、いわゆる『家族に紹介する』という通過儀礼のようなものを果たしていないのだ。それもそのはず、この交際の事実を知っているのはリドルくんと……他にはいない、か。
別に、NRC時代の同級生だと言ってうちに来ればいいいじゃないか──トレイがそう言ったこともある。急に挨拶に行くよりも気が楽だろう、って。まぁ、方法としてはそれもなくはないけど、なんとなく嘘をついているようで後ろめたい気持ちがほんの少しだけ生まれてしまったから、それとなくその提案を流したんだった。
それからトレイがこの件について切り出したことはない。きっと言いづらいんだろうと思う。悪いと思ってるよ、オレだって。
トレイの家族になりたいとか、そういうことよりも先に。オレたちはパートナーとしてこれkら先の人生を共にするつもりです、っていずれ隠さずに伝えたいって思ってる。認めてもらいたい、のかな。まぁ、認めてもらえなかったら残念ではあるけど、別にそれで何かが変わるわけではないし、誰かの助けを借りるつもりもないことだって、ふたりで生きていくって決めた時にもうこれでもかってぐらいに話し合ったから。
ただ、その準備がまだできてないだけなんだ。トレイの両親とかオレの家族を前にして、臆することなくちゃんと伝えられるのかどうか、まだ自信がないんだよ。
やけに長いキスをしてようやく互いの唇が離れると、トレイはオレの髪に指を通したままでこう言った。
「あ、そうだ。明日チケット取ってあるからな」
「……なんの?」
「薔薇の」
「ばらの」
「行くんだろ? 実家」
何を言ってるんだ? 明日、オレが? 薔薇、実家、というキーワードに一気に血の気が引いた。自分でも驚くような速さでトレイから距離を取る。
「え、いや、ちょ、ちょっと待って。なんで? 明日ぁ? なんで急にそんなこと言うわけ?」
どもり過ぎて自分でも何を言ってるのか、ちゃんと言葉にできてるのかわからない。でも抗議の姿勢は示せているはず。なんだって急にそんな。いくらなんでも嬉しいサプライズとそうでないものの区別はつくだろ……オレが最上級の戸惑いを見せている間ずっと、トレイはきょとんとした様子でこちらを見ていた。
でも次に続いた言葉に、今度はこっちが目を丸くする番だった。
「……お前、やっぱり覚えてないのか。こないだ飲んだ時に言ってただろ、『トレイくんの実家に行きたい』って真面目な顔して」
「お、オレが……?」
覚えが、ない。久々にトレイと外で飲んだのはもちろん覚えてる。ビルの高層階で眺めが良くてテンションが上がってたこと、ラム肉の料理が美味しかったことも覚えてる。覚えてる、けどそれ以降の記憶があんまりない。くっそ、飲み過ぎたんだ。もちろんその話も覚えてない。だからノーカンでしょ!
「だ、だからって、急すぎんじゃん? ってかそもそもチケット買う前に言うよね普通?」
「はは、行動は早いに越したことはないからな」
お前の気が変わらないうちにと思って、事もなげに言うこの男のこういうところが好きでもあり大嫌いなんだ。そうだった。まったく、酔っ払いの戯言すら利用するなんて信じらんない。恋人にそういうことするかよ風雨?
ふと、頬にゆっくりと伸びてくるトレイの手。思わず身体が強張った。
「俺も、いいかげん覚悟決めないといけないって……お前に先に言わせちまって、少しは悪いと思ってるんだよ」
ずるいよな、でもこうでもしないと腹がくくれなかった──そっと触れる指先は温かくて、トレイの言いたいことがじわじわとそこから伝わってくるみたいだった。それに、オレよりも大きい肩がしゅんとしぼんで、なんだかいつもより小さく見えた。
なんだ、よかった。心の底で本当に思ってたことは、オレもトレイも同じだったんだ。
「……何泊?」
「え?」
「いや、ほら荷物用意しないと! 服とか!」
もうなかばヤケになって、オレはクローゼットの奥からスーツケースを引っ張り出した。せいぜい長くて二泊ぐらいだろうし、入らないなんてことはないはずだ。
「あぁ、三泊四日だよ」
「長っ!」
「え、長いか? せっかくだから観光スポットも案内しようと思ってな」
ええい、もう、こうなったら。あの夜の自分、そして目の前で笑う恋人みたいに、オレも覚悟キメてやる。
ここよりも温暖だという薔薇の王国。マフラーはいらない、薄手のニットは持っていこう。インナーはこれとこれで。
飛び立った先に待つ風景を思い描きながら、オレたちはふたり分の荷物でスーツケースの隙間を埋めていくのだった。
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