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(だいたい捏造です。

 両手からこぼれそうなほどのプレゼントを抱えて、ケイトは西日の差すハーツラビュル寮にやっと戻ることができた。この白いジャケット、黒いシャツ、そして『Birthday Boy』とでかでかと書かれた襷。これを着ることができるのはもちろん年に一度。その身にまとってしまえば、すれ違う者すべてから祝いの言葉がそそがれる。日頃より目を引く存在であっても、そうでなくても、その1日だけは誰もが等しく主役になる。……本人の意思とは関係なく。
「(うえ〜〜っ、みんなお祝いしてくれるのは嬉しいんだけど、こんなに持ちきれないよ〜!)」
 ユニーク魔法でオレくんたちに手伝ってもらえばよかったーーー校舎で多くの顔見知りに遭遇して祝われたり贈り物を受け取ったりしているうち、ポケットにさしたマジカルペンを振るうタイミングを逸してしまったのだった。
 自室に戻り、窓際のデスクに大量のプレゼントを置いてやると、背中から勢いよくベッドに倒れこんだ。髪がくずれてしまうかもしれないが、とりあえず気にしないことにする。
 この学園で迎える、三回目の誕生日。慣れていないわけではない。祝ってくれるのは純粋にうれしい。ただすこし疲れたなぁ、と大きく息を吐く。ケイトはその明るく賑やかな振る舞いと華やかな容姿も相まって、どちらかというと普段から目を引きやすいタイプだ。そんな彼の誕生日ともなれば、そのはつらつとした輝きが一段と増して、なおのこと注目を集める。
「(DMとかめっちゃ来てそー……)」
  スマートフォンを手に取り、マジカメを起動させる。ケイトの投稿への反応や祝福のダイレクトメッセージなど、これでもかというほどの通知が並んでいる。返事をするのはあとにさせてほしい、気を抜くと自分の顔の真上にあるスマホが手から滑り落ちてしまいそうだった。にぎやかに行列をなすアイコンのひとつ、見慣れたクローバーのアイコンをタップする。
『誕生日おめでとう、ケイト。落ち着いたらキッチンに来てくれ』
 トレイだった。彼とは朝食も、なんなら昼食も一緒だった。日頃から一緒に過ごす時間が長いのだが、いつもよりひときわ周囲からの反応に忙しいケイトを今日も傍らで見ていたのだった。
「ははっ、おめでとうってさっきも言ってくれたじゃん」
 しかもいちばん最初に、とケイトは思わず吹き出した。やっぱトレイくんっておもしろい人だな、そう思う。
 彼がキッチンに促しているのは他でもない、ケイトが持ちかけたあの話によるものだった。バレンタインまで、彼がつくったお菓子を毎日マジカメに投稿したいという申し出だ。いつもなら翌日につくるものを教えてくれることが多いのだが、今日に限ってはおあずけをくらってしまった。誕生日だからといってもったいぶっているのかと尋ねると、いつものように眉を下げて笑うばかり。いちごのショートではないから安心しろ、とだけ言って。こんな思いつきの話に乗ってくれるなんて、物好きだなとも思う。なんだかんだ言って、トレイはやさしい男なのだった。
「……」
 バースデーボーイの1日は長いので、軽くひと眠りするつもりだった。しかしだ。ケイトは眉間にしわを寄せて思いをめぐらせた。もしかして、トレイは今まさにキッチンで自分を待っているのだろうか? 今日も自分が頼んだ菓子をつくって? ……そう思うとなんだかそわそわとしてしまって、少し乱れた髪をととのえてからケイトはそそくさと部屋を出た。


 そろそろ、冷やした生地がいい具合に固まっている頃だろう。トレイは読み進めていた本にしおりを挟むと、ワイシャツの袖をまくりながら銀色の大きな冷蔵庫へと足を向けた。ハーツラビュル寮生共同の大きなものだ。いわゆる業務用といわれるもので、あのモストロ・ラウンジにあるものと同じサイズなのだと聞いたことがあった。パーティーを頻繁に催すために必要だと、何代か前の寮長が導入したのだという。
 材料やドリンク類がひしめくその中で、ひときわ目を引く円形を取り出す。直径二〇センチぐらいのケーキ型におさまっているそれは、薄いブラウンの見た目をしている。クラッカーを砕いて敷き詰めたようなボトムと相まって、控えめではあるがたしかな上品さが感じられた。慎重に型から取り出すと、トレイは調理台に用意してあったトッピングの類を手に取った。とある果実を乾燥させたものと、シナモンスティックをバランスよく並べていく。センスの良い配置をしないと、映える映えないと言ってうるさいかもしれない。冗談まじりにクレームを入れてくるその顔がふと浮かんで、トレイは思わず笑みを浮かべた。
「トレイくーん、おまたせ! バースデーボーイのけーくんが帰ってきたよ〜!」
「ケイト、ちょうどよかった。いま仕上げの最中だったんだ」
 冷蔵庫から出されたばかりのそれを覗き込む。
「かわいー! なんのケーキ?」
「チャイ風レアチーズケーキだ。初めて作ってみたんだが……」
 ケイトは、チャイ風、というワードに心当たりがあったようだった。
「あ、もしかして?」
「こないだ導入したフードプロセッサーを駆使してさ。ようやく思い通りに使いこなせるようになってきたよ」
もちろん店にも出してない味だぞ。トレイの言葉に、ケイトは目を輝かせて歓声をあげた。
「え〜すごいね!超レアじゃん、さっすがトレイくん!」
 慣れた手つきで切り分ける。シックなブラウンが白い皿に映えて、さながら流行りのカフェメニューのようだ。そしてキッチンに、軽快な『いただきます』が響く。トレイにとって、何よりいとおしい瞬間でもあった。
「…………おいし」
 静かなつぶやきと、やわらかい笑顔。安堵からか、トレイの口からはからずも小さな息がもれた。
 数種類のスパイスを練りこんだ生地には、茶葉から煮出した紅茶の風味も薫る。ほんのりと鼻腔をくすぐるそれらのおかげで、甘さはそれほどきつく感じないはずだ。下に敷きつめられたサクサクとしたボトムとが口の中で合わさって、食感も楽しめる。
 ケイトが本当においしいと思うものをつくりたい。トレイはいつだってそう思っている。そして、自分の手がつくり出せるのはだいたいケイトが苦手とするもので、それらを振る舞うたびに彼が本心を厚く塗りたくって『おいしい』と言っていることだって理解している。ケイトはそういう男だ。だから、さっぱりわからなかったのだ。彼の口から甘いものを所望するだなんて。それも14日まで毎日だ。本当の理由を尋ねたところで、バレンタインが近いからだと、最初と同じ理由をまた口にするのだろうか。去年までバレンタインのバの字も言い出さなかったくせに。ほんの少しのためらいのあとにトレイは、ケーキをじっくりと味わうケイトに問いかけた。
「なぁ、ケイト。なんで『ケーキの写真を毎日アップしたい』だなんて言ったんだ? ……いや、ただ純粋に気になっただけなんだが」
 みるみるうちに動揺がにじむ、緑色の瞳。わき上がる気まずさを隠そうと赤い襷を指先でもてあそぶが、トレイの視線からは逃げられない。やがて観念したのか、伏し目がちにぽつぽつとこぼし始めた。
「あー……その、オレたちもう四年になって、そしたらもう別々になっちゃうじゃん? 外部研修行って、そしたらもう多分お互い忙しくなっちゃって、ほとんどそのまま卒業、みたいになっちゃいそうだなって」
 ばつが悪そうに、頬にかかるオレンジの髪をいじる。こういう時のケイトの癖だ。
「なんかこう……思い出づくり、みたいな? トレイくんのお菓子いっぱい写真に撮っておきたいなーなんて! そしたら離れても寂しくないじゃん? ……なんちゃって」
 否応なく訪れる別れ。転校が多かったケイトにとっては幾度となく経験してきたはずのものだった。しかし、入学から途切れることなく友人たちとの付き合いを深めていくうち、ふつふつと沸いてくる感情が次第に胸を占めていったのだ。
 名残惜しい。さびしい。そんな感情、いつのまにか忘れていた。そんなものが自分の中にもまだあったのか、と。
 ケイトは人知れず胸を痛めていたのだった。明るくはつらつとした『けーくん』の奥で。
 しかし、トレイから聞こえて来たのは同意の言葉でも慰みでもなんでもなくて。
「ふっ、くくく……あははは」
「ちょ、な、何がおかしいんだよ!」
 トレイは上半身を折り曲げたりして大げさなぐらいに笑っている。それに比例するように、ケイトの唇が不満げに尖っていく。
「あー、悪い悪い。……いや、なんだかうれしいなと思って」
「はぁ?」
 ーーー意味合いが違ったってかまわない。離れることがさびしいと、そう思ってくれているだけで充分だ。
 気恥ずかしそうに視線を外すのも、すべて打ち明けるのも、今度はトレイの番だった。
「……俺はこれからもお前といたいから、これを作ったんだ」


ーーー俺はお前と、これからも一緒にいたいと思ってる。同じ部屋だった頃、部屋に戻ってお前が笑っておかえりって言ってくれるのがすごくうれしかった。部屋が離れてからも、よくお前に電話したりしてるだろ?あれは、その、疲れた時はケイトの声が聴きたくなるんだよ。部屋近いのにな。
 だからお前とケンカした時はどうも調子が出なくて参った。お前がいないとダメなんだよな、情けないことに。
 ケイト。お前が好きだ。俺はこれからもいろんなものをつくると思う、仕事か趣味かもわからないが……でも、作ったものをいちばんに食べて欲しいのはお前で、それでおいしい、とか甘すぎだとか、これからも隣で言ってほしいんだ。
「そりゃあ、おいしいって言ってくれるのがいちばんいいけど……って、ケイト?」
 トレイの視線の先には、すっかり頬を赤らめたケイトがいた。白い肌が耳まで真っ赤に染まって、恥じらいも何もかも隠しきれていない。
「お前さぁ……不意打ちにもほどがあるでしょ……」
 トレイは恥ずかしくないの。そうぼそぼそとつぶやくも、
「本当に叶えたいもののために、お前は妥協するのか?」
「そういうとこ……」
 するとケイトはひとつ咳払いをしたのち、トレイの眼前まで歩み寄った。手を伸ばせば触れられる距離。ほんの少しだけトレイより小さなケイトが、眼鏡の奥の瞳をじっと見つめている。
「あー、いや、なんていうか……別に、甘いとか、甘くないとか、そういうの、カンケーない……っていうか」
 いつもの勢いはどこへやら。今にも消え入りそうな声を聞き漏らさぬよう、トレイはじっと耳を傾ける。 
「トレイが作ってくれたものはどれもすきだから、その、これからも食べたいなー……なんて」
「作ったものだけが好きなのか?」
「くっそ……」
 ケイトはトレイの肩のあたりを拳で何度も小突いてやると、キッチン中に響き渡るような大声をあげた。
「あ〜〜〜〜もう!トレイがすきだよ!こんっのばか!ばかトレイ!」
「はは、痛いな」
 八つ当たりのような、照れ隠しのようなケイトのパンチを受け続けたトレイはその腕をぐっと掴んで、じたばたする細い身体を抱き寄せた。ケイトの心臓の音が聞こえる。やけに速く感じるのは、今さっきの八つ当たりのせいか、それとも。
「来年はラム肉のディアボロソースがけがいいか?」
「あはは、気ぃ早すぎ」
 来年のこの日も、その先もずっと、目を見ておめでとうと言える。こうしてこの腕に抱きしめて、あふれかえるほどのいとおしさを伝えられるのだ。そう思ったらトレイはたまらなくなって、ケイトを抱きしめるその腕にぐっと力を込めた。

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