top of page
となりにいたいと願うから
なんでもない日のパーティーを滞りなく終わらせること、それは副寮長として最低限の仕事だ。誰もいなくなった会場を見渡して、俺はひとり溜息をこぼした。安堵と、反省の。
思い出されるのは自分のふがいなさばかりだ。いつもサポートしてくれるケイトは当たり前だが今回ばかりは俺を手伝ってくれるわけもないので、いつも以上に準備に時間を要した。それに、そのケイトのことで頭がいっぱいだという余裕のなさを見透かされ、リドルにまで心配をかけるという失態。副寮長として情けないことこの上ないし、首を刎ねられなかったのは奇跡としか言いようがない……リドルには、今度新作タルトをいちばんに届けに行こうと思う。
残りの皿やティーカップを戻すためにキッチンへ向かう。ひっそりと静まり返るここは、さっきまでのパーティーの喧騒とはまるで別世界だ。ふと、扉の音に目を向ける。
ケイトだ。視線が一瞬かち合って俺を認識するとすぐに顔を背け、そのまま食器棚のほうに足を向けた。自分のマグカップに冷蔵庫から出した何かを注いで、氷をいくつか落とした。やけにゆっくりとした動きだ。なんだか不自然すぎて、時間を稼いでいるようにも見えた。
放課後、二人きりでキッチンで落ち合ってよく話をしたのを思い出す。ケイトは甘いものが嫌いなくせに俺が作った試作品のクッキーに手を出しては、甘いけどおいしいよと笑った。甘く作ってるんだから当たり前だろ、と言いながら俺は、いつかおいしいという言葉だけぽろっと口に出してくれたなら、それは本当のお前に一歩近づけたと思っていいのかなぁ、なんてことを思ったっけな。
談話室で最後にお前と話してから、ずっと考えてたんだ。考えて考えて、それで俺なりの答えを出したんだ。別れてからも充分悩んだつもりだったんだが、まだこんなに考えることがあったんだよ。
独りよがりだと言われるかもしれないが、曖昧にしたままでいいわけがないから。思ったことは言わなければ伝わらないと俺は知ったから。
そう物思いにふけっているうち、とっくに動きを止めたケイトがこちらを見つめていることに気付く。目が、離せない。
「……もうオレに言いたいことはないわけ?」
ひどく冷え切った声だ。しかし驚いた。ケイトのほうから俺にチャンスをくれるなんて。心臓がうるさい。落ち着け。あとはもう、伝えるだけだから。
「……お前を追いかけるようなマネはしないよ」
ケイトの視線が鋭くなった気がした。それに気付かないフリをして、俺は言葉を続ける。
──ケイトを好きな気持ちは変わらない。今でもお前のすべてを知りたいし、お前が嬉しかったこと、悲しいと思ったこと、ムカついたことも、お前のことならなんだって知りたいと思ってる。
でも、お前を苦しめたくないと思ってても、俺は自分の願望を抑えていられるほど大人でもない。いつかボロが出て、同じことが起きる。俺は、大人にならないといけないんだと思う。ふたりでいたいと思うあまり、お前に求めすぎてたんだ。
俺は変わりたい。けど、時間がかかる。
だから今は、追いかけるようなことはしないって決めたんだ。
いつかまたお前の隣にいるために、それまでは親友として、隣で、お前のことを勝手に好きでいることにしたんだ。
……というようなことを、できるだけかいつまんで伝えてみたんだが。案の定、ケイトの眉間のシワは深く刻まれたままだ。
「……なに。わけわかんない、なんだよそれ。自分が我慢して考え方変えるってやつ?そういうのまじでダサいからやめたほうがいいよ」
「我慢じゃない」「同じだよ」
語気を強めるケイト。
「あのさ、リドルくんの件もそうだけど、本当はこう思ってるのに言わないとか、自分を押し殺して平穏にコトが進むなら、みたいな方法を選ぶとこ、なんにも変わってなくない?何の解決にもなってないんだって」
「それは……」「学びなよ」
苛立ちを隠せない様子で、ケイトの指が調理台のステンレスをカタカタと叩く。
『親友に戻ろう』
俺たちが最初に別れを決めた時のケイトの言葉だ。きっとあの時素直に別れを受け入れてもそうでなくても、親友になんか戻れるわけないとわかってた。だから抵抗して、俺と顔を合わせたくないお前を追いかけるようなことまでしてありったけを伝えたりした。耐えがたかったんだ、何もしないままお前が離れていってしまうことが。すべて俺の幼さだ。
広いキッチンに静けさが満ちる。沈黙というのは残酷で、それが続けば続くほど自分の中に何もないということをさらけ出しているような気分になってしまう。しかし、焦りをつのらせる俺よりも先に切り出したのはケイトのほうだった。
「で?それでなにがしたいの?」
「……またいつか、お前に好きだって言うよ」
「その間にオレに恋人ができたら?」
「それは……」
思わぬ問いだ。確かにその可能性も、否定はできない。そんなの、
「すごく、落ち込む、と思う」
落ち込む、という俺の言葉のチョイスにケイトは苦笑している。でも、やっと笑ってくれたな。その事実だけで俺は少し嬉しくなった。
「ふーん。どれぐらい?」
……ずいぶん具体的な説明を求められているな。無理もない。ケイトは疑り深いというかこういう時にはとくに慎重になるんだ。試されてる気分になったことも少なくない。
「……ケーキも作れないぐらい?」
そうか、そうだな。そうだよ。
「あぁ、多分作れない。砂糖と塩の違いがわからなくなるし、食紅と間違ってオイスターソースを入れてしまうかもしれない。フルーツだと思って乗せたのは実はキノコで、それはもう食えたもんじゃない。きっとパーティーなんか開けなくなるな」
ふふ、と思わずこぼしたケイトは、笑ってなんかないとでも言いたげにコホンと咳払いをひとつした。
「それだけ?」
「いや、まぁ……」
がっくりとわかりやすく肩を落とすケイトが、本当にいとおしい。なんだか、俺にまだ笑いかけてくれていた頃に戻ったような気がして、目頭に力をこめてこみ上げるものをぐっとこらえた。
ケイトに恋人ができたらだなんて、そんなこと、考えただけでどうにかなりそうだよ。正直、今すぐにでも抱きしめたい。親友に戻ろうとあの日お前が告げてから、ずっと、ずっと触れたいと思ってる。柔らかい髪をなでて、よく手入れされたその手にふれたい。指先が冷えがちだから、両手で握ってあっためたい。それで、俺より少し細いからだをこの腕に閉じこめたら、もう本当は離したくない。
でも、いつかまたふたりでいるために、俺はまたお前に好きだって言いたいんだ。
だから今は。
「親友に戻らないか、ケイト」
数ヶ月後
「トレイくーん! 今日は部活なかったよね、お茶しない?」
授業を終えて寮に戻ったところで、ケイトの声が響いた。
「あぁ、今日は何もないぞ」
「やったぁ! こないだね、おいしそうな紅茶見つけたんだ。一緒に飲もうよ」
ケイトの隣に俺はいる。気を遣わない。だいたいのことはお互い理解している。踏み込まないこともある。俺たちは親友だ。こちらが勝手におもい続けていることを除けば、俺たちはそこらへんの親友とさして何も変わらないんだ。この生活も長い。
部屋からお菓子持ってっちゃお、とはずむようなケイトの声が相変わらず心地よかった。そういえばこないだ焼いたクッキーがまだあったな。上書きしてやればケイトも食べられるだろう。
そう言おうとして、感じたやわらかさ。教科書を抱える反対側の手。ケイトの指が、絡んだ。乱れる歩幅。息が、詰まる。
「っ……けい、と」
「話はあとで」
体温が上がるのを感じる。こころなしか、ケイトの耳も染まっているような気がする。
……あぁ、どうしたらいいだろう。もしかしたら紅茶の味もクッキーの味も、ちっともわからないかもしれないが、それでもどうか怒らないでくれよ?
Fin.
bottom of page