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YES,Sir.

「明朝6時。この計画に賛同する者は、天帝城地下10階・北棟1階第2広間に集合せよ」
 深夜。宿舎の奥にある狭い一室に集まった第一小隊の面々を前に、いつにも増して張り詰めた声で、しかしながら凛とした様子で岳陵先輩はこう告げた。

「金晴眼(きんめ)の幼子をかばい、天蓬元帥と捲簾大将が人質を取って籠城している」。
 その知らせはまさに「青天の霹靂」で、以前、天蓬元帥が教えてくださった下界のことわざそのものだった。こんな時に思い出すなんて何の因果だろうかと、僕は唇を噛んだ。しかもその人質というのがあの敖潤局長だという情報は、僕達を更に惑わせるのに充分過ぎた。まったくもって意味が分からない。
 何かの間違いだろう、あの元帥と大将が ───?
 隊の誰もが訝しみ信じる様子を見せなかった。僕はというと、むしろそんな情報が流れるなんてお二人を陥れる為の謀略か何かに違いない、とまで勘繰って怒りが込み上げていた。
 …結局のところそれは事実で、こんな予期せぬ形で僕は第一小隊最大の任務かつ天界史上に残るであろう大事件に足を踏み入れることとなったのだった。
 真夜中、そんな緊張の中で僕はふと昔のことを思い出していた。


 僕がこの西方軍第一小隊に着任となったのは、貼り出されていた人員募集の報を見かけたのがきっかけだった。実戦経験もない僕が前線に立つ軍人、ましてや下界へ赴く職務を志願するなんて、今考えると無謀な挑戦だったなと思うのだけど、意外なことに躊躇いはなかった。単純に下界への興味が勝っていたからかもしれない。たまにそういう無鉄砲な所が出るんだから気をつけなさいねと、母さんにも昔言われたことがあったっけ。
 着任のご挨拶を、と天蓬元帥のもとを訪れた時のことはよく覚えている。はっきり言って軍人らしからぬ白衣に眼鏡のお方と、何故か上半身裸で掃除道具を持ったお方が親しげに話していたので、てっきり部屋を間違えてしまったかと思った。
 後に、情報通でもある総務課の元同僚に聞いた話によると、天蓬元帥は主に下界の雑学や軍事についても相当博識で、天界軍の中でも一、二を争う優秀な軍人としても知られている。が、同時に天帝城書庫の書物貸出率及び未返却率が群を抜いており、催促の連絡を幾度に渡ってしていたのだがいつの間にか放置状態になっている、という一面があるとのこと。
 そして捲簾大将においてはかつて配属先の上官の奥様を寝取った上、その上官を殴り倒したという件で始末書が上がっていたそうだが、武勇に関しては闘神に匹敵するレベルの実力を持つ、ということらしかった。…なかなか変わり者の上司なのだなと、僕は少し不安になった記憶がある。
 しかしその憂いとは裏腹に、良い先輩に恵まれた。隊にはすぐ馴染むことができたし、実際に天蓬元帥も軍人の鑑と評されるような素晴らしい舵取りで、僕は出陣の度にその敏腕っぷりに見惚れるばかりだった。捲簾大将とも阿吽の呼吸で、見ていて清々しい程のコンビネーション。小隊会議の際に時折意見を戦わせることもあったが、根底にある信頼の厚さとお互いを何者にも代えがたい存在と認識していることは、新人の僕にも一目瞭然だった。

 ある日。天蓬元帥の執務室へ書類を届けに行った時のことだった。東方軍の元帥がちょうど部屋から出るところに出くわしたのだが、部屋から出るなり、
「天蓬元帥、これ以上は時間の無駄というものだ。失礼させて頂く」
 不穏な空気を察知した。
「どうぞ、ご自由に。僕は隊員を無下に扱う人間とは、一生相容れるつもりはありませんから」
 僕は全身が強張ってしまった。元帥のその声が、いつものそれとは全く違い、ひどく冷たい無機質なものに聞こえたから。僕は緊張でその場を動けなくなってしまって、開いたドアの向こうの元帥にわざわざ声を掛けて頂き我に返る、なんていうなんとも情けない失態をさらしてしまった。

「すみませんね、気を遣わせてしまって」
「い、いえ…!ここ、こちらこそお取り込み中、申し訳ございませんでした…」
 元帥は書類を受け取ると、少しお時間ありますか、と僕に尋ねた。頷かない理由は無い。
 部下を亡くしたことがあるんです、と静かに仰った。元帥になって少し経った頃だという。ぽつりぽつりと、その語り口はとても柔らかなものではあったが、その端々に深い哀しみがひしひしと感じられて胸の奥がつぶれるような思いがした。そしてこんな大事な話を僕なんかにもしてくださっているのが、にわかには信じられなかった。

「…僕らは、殺すことができません。息の根を止めるほうが簡単なんですよ。殺さないことによるリスクだって何倍にもなる。どうしてこんな掟があるのか、って考えてしまうこともあります。───でも、どんな状況であっても任務は遂行しなければなりません。そして、決して命を落としてはいけません…貴方がたは、駒ではないのです」
 最後の一言に語気を強めたようだったが、やにわにいつもの元帥に戻った。
「…あ、なんだか愚痴ってしまいましたね、すみません」
「い、いえ…天蓬元帥、あの……」
「なんですか?」
「元帥は、"息の根を止めた"ことがお有りなのでしょうか……?」
「あ」
 元帥は笑った。
「内緒ですよ?」
 強さも弱さも内包し、軍人である覚悟そして元帥という立場ゆえの堅い覚悟を心に秘めている。こんなにも人間くさい人なんだ、このお方は。
 そんな元帥のお役にいつか立ちたいと、僕は誓った。
 しばらくして僕は、あんなことではなくて何か気の利いた言葉を言えなかったのかと、自分の浅はかさに愕然とした。だいぶ引きずった。
 それから僕にとって天蓬元帥は、軍人として憧れの存在となった。小隊の一員として過ごす中で見えてきたその統率力、武術、人心掌握術…どこを取っても非の打ち所がない。それでいて穏やかで、変にお高くとまったところも無い。西方軍はもちろん、東方軍、天界のどこを見渡してもきっと元帥の上を行く人物はいないと思っている。隊の先輩方には口が裂けても言える訳がないし、言った途端にすぐ元帥の耳に入ってしまうだろう。そんなことになりにでもしたら、僕は恥ずかしくて元帥のお顔を直視する事ができない…と思う。
 まぁでも、この第一小隊の中でそう憧れを抱いているのは、きっと僕だけではないだろう。


 捲簾大将はいつも、隊服を胸の辺りまで開けて着崩していた。
自由な人だなぁ ───。
 僕が小隊に配属された頃は元同僚からの情報のせいもあって、捲簾大将の印象は"噂通り"にヤンチャそう、軽そう、というそれぐらいのものだった。あとは、天蓬元帥といつも煙草をふかしているとか、酒瓶をぶら下げているのは問題ないのだろうか、とか。
 しかし、その日の訓練で彼に対する印象は跡形もなく吹き飛んだ。 元帥が下界の書物を読んでハマり、尚且つ訓練の一環として行なわれた「サッカー」という球技で一戦交えただけなのだが…。
 後半13分。スコアは0-1。こちらが1点を追う戦況。自陣キーパー役の呉斗先輩が大きく蹴り上げたボールは、捲簾大将と晃顕先輩が相対する守備範囲に落ちていく。長身の二人が跳び上がり競り合う。跳ねたボールは僕のチームの熊哲先輩の足下へ。一瞬たじろぐ熊哲先輩は僕の姿をみとめると、軽くバウンドさせてパスをくれた。託された僕が右足をひと思いに振り切ると、ボールは即席で地面に引かれた白線を勢いよく越えた。けたたましく鳴る笛。やった。
「おー、お前やるじゃん!でも追加点はやらねぇからな」
 ボールを叩き込んだ僕の背中をバンっと叩いて、笑顔を向けたのはまさに、捲簾大将だった。僕はぎこちなく笑うことしか出来なかったけど、実はその屈託のない笑顔から目が離せなくなっていた。
 それに、精鋭揃いの面々であるにも関わらず、群を抜く抜群の身体能力と瞬時に状況を察知する判断能力、そして、組織として高い力を発揮する為に絶妙なバランスで周囲を統制する器量。その姿はまさに「司令塔」と呼ぶにふさわしい、獅子奮迅の活躍だった。
 結果は1-1の引き分け。訓練が終わり、隊員の輪の中心にいる捲簾大将の姿を、僕は何故だかぼーっと見つめていた。既に心を掴まれていた。
僕はその日から、捲簾大将の軍人としての力量はもちろん、持ち前の快活さと分け隔てない人あたりの良さに代表される"人たらし"っぷりを存分に感じさせられた。隊員に対してもとても面倒見が良く、実技訓練では武勇にすぐれた腕前で自ら指導にあたり、はたまた非番の日でさえも若い隊員の諸々の相談に乗ってくださるような、そんな兄貴分。そして、数ある中で最も僕らが捲簾大将に感謝していることがある。第一小隊の懸案事項であったとある問題を、彼流のやり方でおさめてくださったのだ。
 ある時期、僕ら隊員が出る幕もない程に天蓬元帥が自ら前線に立つ傾向が顕著になったことが、隊員の間で大きな懸念材料となっていた。誰もが理由を分かっていた。いつか僕に話してくださった、殉職した隊員の一件が、天蓬元帥の心に大きなしこりを残し続けていたのだ。しかし、あの元帥のこと。いくら進言しようとあの飄々とした語り口で流されてしまうだけで、問題解決に向けてはもはや思案のしようがなかった。普段は寡黙だが人一倍元帥を慕っている鯉昇先輩は彼の身を案じ、特に気に掛けていたようだった。
「例の件は、元帥からお聞きしました。やはりその方のことが未だに…?」
「…元帥ご自身の中で、どうしても拭いきれないんだろう」
「僕らにもっと実力があれば、信頼して頂けるようになるものなんでしょうか…」
「…さぁ、どうだろうな」
 鯉昇先輩も考えあぐねているといった様子だった。
「元帥が背負うものの重さは、そうたやすくは理解できるものじゃない。お前のような若造は考えるだけ無駄だ」
 訓練に戻るぞと促され、僕はやり切れなさを残しながら鯉昇先輩の後を追うだけだった。

「──皆、一緒に戦いてぇんだとよ!」
 そんな中で、捲簾大将が発したあの言葉。僕らが伝えたくてどうにもならなかった言葉。驚くべき事にその時はまだ、元帥の過去の出来事を聞かされてはいなかったという。
 それを知るよりも先に、結果的に元帥の心情に寄り添った大将の言葉に、僕ら隊員はあらためてその懐の大きさを感じ、認めざるを得なかった。
 それ以来、天蓬元帥は無謀な単独行動をやめた。そしてそれからのお二人には、言葉に出さずとも漂う特別な空気が増したように感じられた。信頼という言葉では足りなく、拠り所という言葉ともまた違う、強固で見えない何かが。背中を預けられるというのはこういうことをいうのかと、いつのまにかお二人の姿が僕の憧れの軍人の姿となっていた。
 ある時、捲簾大将の解任令がにわかに持ち上がった。まさに寝耳に水で、僕ら隊員はその決定を下した李塔天の横暴なやり口にひどく憤慨していたのだけれど、何事もなかったかのように翌日には立ち消えになった。どうやら未遂に終わったようで安堵していたが、事の真相は天蓬元帥から信頼の厚い永繕先輩ですら聞き出せなかった。
「ええ、それとなく聞いてはみたものの、元帥は一向に口を割りません。別ルートであたっています」
「そんなぁ…」
「元帥のことですから何かお考えがあってのことなのでしょう。今は見守っているのが賢明かと」
 気持ちは分かります、と永繕先輩が僕に気を遣ってくださったのが尚更辛かった。
 昼に訓練へと赴いた際、いつもは隊服をはだけさせている捲簾大将が、珍しく正面を閉じてきっちりと身なりを整えていた。天蓬元帥は、白いマスクでお顔の半分が隠れている。
「…元帥、お風邪でも召されましたか?」
「ああ、いえね、ちょっとここ数日咳が止まらなくって、ごほごほ」
 なんだか違和感のある咳をして、すぐに捲簾大将の隣へと腰を下ろした。今日は、捲簾大将も座して訓練の様子を見守っている。
 ふと、僕は見た。捲簾大将の袖口から覗く、腕の包帯を。
 包帯?いつ負った傷なのか?前回の訓練から、出動はなかったはずだ …。
 僕は完全に上の空で、袁世先輩の強烈な回し蹴りをまともに受けてしまい、強く地面に叩きつけられた。
「余所見してんじゃねーぞ新人!訓練中だぞ!」
 のちに永繕先輩から聞いた事実に、僕は驚愕した。捲簾大将が哪吒太子をかばい天帝に進言したことにより、懲罰房へ連行されていたというではないか。解任の令を覆そうと天蓬元帥が李塔天の元へ出向き、暴行を受けたという事実にも。元帥の顔を覆ったマスク、捲簾大将の隊服や包帯、そしていつもは自ら訓練で指導を担う大将が、元帥の傍らで監督していただけだったことにも合点がいった。僕はまた、何もできなかったのだ。どうしようもない悔しさで、唇を噛んだ。

 

 それから、瞬く間に慌しくなった天界。西方軍第一小隊の元帥・大将であったお二人は、一夜にして追われる身となった。今や役職名ではなく、"謀反人"などと呼ばれて。

「最後の命令です」
 天蓬元帥のその声はいつにも増して凛々しく、そして勇猛さをまとっていた。
「今ここで貴方がたの姿を見た者、一人たりとも残してはなりません───聞こえましたね?」
「イエッサー!」

 今度は特上でな、といつもの冗談を置いて、天蓬元帥と捲簾大将は扉の奥へと消えていった。


 僕はあれから強くなれただろうか。若かった、何も知らなかったあの頃から、天蓬元帥のお力になれたのだろうか。捲簾大将の助けになれたのだろうか。最も憧れるお二人に、僕は何ができたのだろうか。僕はがむしゃらに、その後ろ姿を追い続けてきた。どこまで来れたのだろうか。近付けたのだろうか。いや、何も近付けなかったと思う。近付けないまま、完全に僕らの手の届かないようなところまで、お二人は旅立とうとしている。
 あんなに格好よくて、今度は下界へ亡命ですか。もっと背中を、追っていたかった。
 でも構わない。お二人の望みを叶えるためなら。決して自棄になっているのではなく、自分でも驚くほどに前向きな…なんというか、お二人が下界へ脱出した暁にはいつかまたお会いできるんじゃないだろうかと。僕は信じてやまない。根拠は、ないけど。
 ある時、捲簾大将がこう言った。
「軍人ってのはな、腕っぷしやら戦術眼も大事だが、"勘"が良くないといけねぇ。よーく覚えとけ」
 ええ、大将。ちゃんと覚えています。僕はこの第一小隊で培った”勘”で、そう思うのです。また会えると。
 気をつけろ。酒と女と網交換。…やっぱり変な合言葉。第二小隊の同期に馬鹿にされたけど、僕は気に入っているんです。
 また焼肉、お願いします。今度は下界で。下界の中でも貴重な、とびきりいいヤツでお願いします。

「…この任務、必ず遂行するぞ。西方軍第一小隊、最後の出陣だ 」

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